奇皇后

奇皇后の時代背景を解説!あらすじや史実との違いは?その時日本は?

奇皇后」の時代背景史実との違いも含めてもう少し詳しく知りたい!と思い…
今回は「奇皇后」の史実を含めた時代背景を解説します!

元出身以外で、初めて中国大陸・元の皇后になった実在の人物・奇皇后。

高麗から貢女として献上された貧しい家柄の娘が、他国で一人どのように上りつめていったのでしょうか。

 

実は、奇皇后に関する文献資料は、あまり残っていないらしく彼女の人生はベールで包まれていることが多いといわれています。

 

 

saisai
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奇皇后が生きた時代は、どのような時代だったのでしょう。

そして、その時日本はどのような歴史を刻んでいたのでしょう?

今回は、韓国の超大作ドラマ「奇皇后」の

  • 時代背景
  • ドラマと史実の違い
  • 奇皇后の時代、日本はどうだったのか?

についてまとめました。

 

リスちゃん
リスちゃん
一部ネタバレが含まれますので気になる方は要注意だぜぃ~
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奇皇后のあらすじは?

全51話の大作ドラマ「奇皇后」のあらすじについては、以下の記事で前半のあらすじ、後半のあらすじに分けてまとめています。

覗いてみてくださいね♪

 

奇皇后の後半の相関図やあらすじを解説!ネタバレあり「奇皇后」の後半の相関図やあらすじを、ネタバレしてもいいから解説してほしい!という声があり… 今回は「奇皇后」の後半の相関図やあらすじ...

 

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では、ドラマ「奇皇后」の時代背景を詳しく見ていきましょう~

奇皇后の時代背景は?

モンゴル帝国による高麗侵攻が繰り返された後、約80年間にわたりモンゴル・元(1271年~国号を元)の支配下に置かれていました。

国名だけは、「高麗」と存続が許されましたが・・・。

政治的には元の属国として高麗王の息子たちを人質に取り、国王の任命権から廃位までいろいろな面で干渉してきました。(内政干渉)

また、モンゴル皇帝の娘が長年高麗王の后となることも暗黙の了解でした。

その当時、高麗の民にとって最も屈辱的ともいえるのが、献上品として優秀な宦官や貢女の要求でした。
(貢女とは、元の要求で女性を差し出すことを意味しています。)

元では同族婚を嫌うため、元の皇室や貴族の妻そして領土拡大のために、どんどん増えていく軍人の結婚相手のためにも常に女性が不足し、たくさんの女性を必要としていました。

強引に元に連れて行かれた高麗の女性たちの苦労は、大変なものだったといわれています。

もちろん、言葉の問題から風習まで・・・。

また、高麗女性は身分によって皇室や高官の妾や妓生と振り分けられ、涙なしでは語れないほど悲しい人生を送ることになりました。
(あまりのつらさに自殺者も多数でたといわれています)

貢女は、両班の娘(処女であること)とされていたため、娘を貢女にさせないために早婚の風習ができるほど。

元の要求に逆らえない高麗は、12歳以下の婚姻を禁止し、貢女を出す家には多額の報酬を準備して必死に貢女となる女性を集めようとします。

他国に支配されるという結果生じた最も悲劇的な出来事の一つ。

あの「奇皇后」も泣きながら、元に渡ったといわれています。

貧しい家柄のため、貧しさから抜け出すための一つの手段だったのでしょう。

献上品として貢女は李氏朝鮮時代にまでも続きます。

皮肉を言えば、若い女性のおかげで国の安定が図られたといっても過言ではありません。

 

奇皇后の時代、日本はどうだった?

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続いては個人的に気になった「奇皇后」時代、日本はどうだったのか?調べてみました!

奇皇后が生きた1333年から1370年は、高麗末期で日本では鎌倉時代から室町時代にあたります。

日本では元寇(モンゴル帝国・皇帝フビライ)以降、政局不安から幕府への信頼は失墜するばかり。

鎌倉幕府討幕の後、後醍醐天皇が親政を始めますが(建武の新政)武士から不満が続出し、公家からも失望されました。

2年ほどで、足利尊氏が反旗をひるがえし、後醍醐天皇による親政は終わりを告げます。

1338年足利尊氏が征夷大将軍となり、室町幕府を開きます。

足利尊氏の時代1351年から倭寇が高麗沿岸に侵入するようになり、1367年高麗が倭寇の禁止を要請してきますが、日本側が高麗に侵入した理由としては、元寇への報復的要素が大きいとされています。

1368年足利義満が3代目将軍に就任した年、大陸の方では明が建国されました。

明の大軍が元の大都を占拠し、元の皇室は北方に逃げ「北元」と名乗るようになります。

足利氏率いる室町幕府は、237年続きます。

室町時代とは、幕府が安定せず戦の絶えない不安定な時代でした。

しかし、人々の暮らしの面では、肥料の普及や農具が発達し牛や馬の利用で、農業が盛んになりました。それにより、作物の生産量が増加し確実に鎌倉時代よりも豊かになりました。

また、現在のような実店舗も増え始め商業も盛んになり、貨幣経済が浸透していきました。
(元では奇皇后の時代にタルタルが貨幣制度に尽力していました)

そのころから、現在でいう運送業者(馬借・車借)や金融業も登場してきます。

現代に繋がる様々な生活習慣や民の意識が進歩したのも室町時代の特徴といえます。

代表的なものが、食事の面でも変化です。中国から伝来した禅宗の僧によって味噌・しょうゆなど大豆食品が広まり、このころから味噌汁を飲むようになります。

お茶を飲む習慣ができ、おにぎりが作られるようになったのも室町時代といわれ、現在の「和食」の原型はこの時代から始まったといえます。

文化面でも足利義満が建立した「銀閣寺」だけでなく、「書院造」や生け花の習慣そして茶の湯を代表する「わび・さび」などもこの時代に誕生しました。

 

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奇皇后のドラマと史実の違いは?

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最後に「奇皇后」のドラマと史実の違いについてまとめました!

史実の奇皇后は、貢女として1333年に元に渡ったとされています。

高麗出身の宦官が自分の立場を有利にするため、とびぬけて美しかった奇皇后を皇室付きの女性として推薦します。

宦官の思惑通り、皇帝トゴン・テムルの目にとまりすぐ側室となりました。

皇后であるタナシルリは、奇皇后に対して凄まじいまでの嫉妬をむき出しにします。

タナシルリは、元の丞相エル・テムルの娘で家柄の良さで皇后の座に就くことができました。

ドラマのヨンチョルと違い、タナシルリの父エル・テムルはトゴン・テムルが皇帝になる前に病死しているため、後ろ盾のいないタナシルリも万全とはいえないため、皇帝の寵愛を受ける奇皇后を激しく憎んでいます。
(タナシルリの嫉妬深いところや悪女というところはドラマも史実もほとんどかわらないのですが・・・。)

ドラマ同様、皇后の座が空き皇帝トゴン・テムルは側室の奇皇后を正室に迎えたかったのですが、元出身でないことを理由に皇后になれませんでした。
(身近な側近たちからの反発があった)

皇后には名門部族出身のバヤンクトゥクが迎えられます。

ドラマのバヤンフトは、美しい顔立ちで優しく微笑みながら、残虐なことを平気でできる悪魔のような女性でした。

しかし、実在したバヤンクトゥクは、皇帝の寵愛を一心に集める奇皇后に対し、嫉妬せず、つつましやかに暮らし、できた人柄だと伝えられています。
(ドラマの皇后・バヤンフトとは、天と地の差というか正反対というか・・・)

皇帝に愛されていた奇皇后が王子アユルシリダラを生んだことで、奇皇后の野心はますますつよくなり、高麗出身の宦官と手を結び皇室の財政や政権の人事権も握るようになりました。

何もかも手に入れたかのように見える奇皇后の願いは一つ。

息子アユルシリダラを皇太子にすることだけ。
(このころから、若干悪女の片鱗を見せ始めます)

しかし、皇后や重臣たちが許すことはありませんでした。

そのため、奇皇后は重臣たちを買収し1353年にアユルシリダラを皇太子にすることに成功します。

ドラマでは、いつも元の民や元で暮らす高麗出身者のことそして高麗の民を心配する正義感あふれる女性として描かれています。

また、高麗王と協力し両国のために尽力する素敵な女性とされていますが・・・。

史実による奇皇后時代、皇太子の母となった奇皇后の権力は高麗王朝まで影響を及ぼします。

高麗では奇皇后の一族が政治の主導権を握り、ドラマの中の悪役・丞相ヨンチョル並みもしくはそれ以上に卑劣で、民の土地を強引に奪ったり、強制的に奴婢にしたりとやりたい放題の悪政が伝えられています。

しかし、悪政時代は長続きしませんでした。なぜなら、元の国力が以前よりも衰退し、高麗に対しての影響力も薄れていったためといわれています。

31代高麗王恭愍王(コンミンワン)は、奇皇后の兄である奇・轍(キ・チョル)を始めとする奇一族を処罰します。

一族の現状を知った奇皇后は激怒し、高麗へ軍を送りますが高麗軍に敗れてしまいます。

この件は、奇皇后自身の求心力の低下にもつながります。ここから、奇皇后の人生に再び波乱が押し寄せます。

起死回生の一手として、皇帝に息子・アユルシリダラに譲位を懇願しますが、皇帝トゴン・テムルがこの提案を受け入れることはありませんでした。

その後、各地でクーデターが起き奇皇后は捕虜となります。

そんな時、皇后・バヤンクトゥクが急死し、状況は一変します。

ここで、皇太子の母から皇帝の正室皇后となります。
(悪運強い)

奇皇后の悲願は達成されましたが、このころから元は滅亡へと進んでいきます。

中国では、1368年に明が建国されました。

明の大軍が元の首都である大都を占拠すると、奇皇后や元の皇室は北のモンゴル高原に逃げ、そこで新たに「北元」を名乗ります。

皇帝トゴン・テムルが逃亡中に死亡したため、奇皇后の息子アユルシリダラが皇帝として即位しますが・・・。

その時奇皇后は?

というと皇帝と同じく逃亡中に消息は不明とされていて、その最後は誰にも分っていません。

どこかで、ひっそり生き伸びていたのか、それともどこかで息絶えたのか・・・。

 

すべては、ベールに包まれたまま。

 

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奇皇后の史実とのちがいまとめ

史実での奇皇后とその一族は、悪役的要素が強いためドラマ「奇皇后」でのキャストをすべて肯定的に評価することはなかなか難しかったらしく・・・。

ドラマを放送するにあたって、登場人物や高麗をほぼ架空の人や国に変更し、放送前には、「このドラマは、実在した奇皇后を題材に制作したものです。架空の人物や事件を扱っており史実とは異なります」とテロップ流し、フィクション時代劇であることを強調していました。

しかし、奇皇后の時代背景を切り離し、元の皇后になった後も祖国・高麗や高麗の民を思い続ける正義感の強い女性の生き方・壮大なラブストーリという新しい切り口で描かれているドラマだと思うとかなり魅力的な作品だと思います。

曲げられない史実はありますが・・・。きらびやかな衣装やめまぐるしく展開するストーリーとキャストの魅力的な演技から目が離せなかった事実が、新たな奇皇后伝説として追加されたようにも思います。

長くなってしまいました、読んでいただきありがとうございました。

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